Il mio ultimo giorno a Napoli (ナポリの最終日)

8月22日に東京からナポリに帰任し、この間アパートの契約等で慌ただしくベネチア往復を行いつつ、いよいよ9月2日に最終的にナポリを離れ、次の赴任先ベネチアへ移動する。

ナポリの最終日にセッティングされたのが、「ナポリの下町」スペイン地区(Quartieri Spagnoli)の巡検とヒアリング。スペイン地区は、ナポリのショッピングストリート、via Toledoに隣接した斜面に広がる古い住宅地で、高齢化と低所得層の集住が進み、治安は必ずしも良くない。典型的なインナーシティ問題を見て取ることができる。ちなみに「地球の歩き方」でも「治安が悪いので、大通り(via Toledo)から見上げるだけに」とアドバイスされている。

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(赤い線が「目抜き通りのvia Toledo、黄色い区画がおおよその「スペイン地区」。地区の定義を廻っては諸説がある。)

 スペイン地区は、名前の通り、16世紀末から17世紀にかけて、この地を支配したスペイン政府が、王宮に近いこの地域を兵営として開発したことに始まる。その後、兵士のみならず多数のスペイン人移民の受け皿となり、20世紀以降は3~4階建てであった兵営が不法に上乗せ(増築)され、今日に至っている。斜面を上がるほど(上の図では左へ行くほど)勾配が急になるため、急勾配を利用した半地下室(フロアの一方方向のみが地上に面しており、窓の無い部屋が生じる)が増え、こうした劣悪な居住環境の住戸に低所得者や移民が集住することで、現在のスペイン地区の特性が形成された。

それでも、近年はvia Toledoに近い地域で商業開発や公共事業も進み、3本目のVico lungo teatro nuovo(長い新劇場小路)までは観光客が足を運ぶ様になった。

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(via Toledoから眺めたスペイン地区の東側(左)。勾配は緩く、観光開発が進んでいる。一方、西側(右)は、傾斜が急になり、低所得層と移民の比率が高まる)

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(ご案内下さったナポリ東洋大学のF先生(社会地理学)と、ナポリ・フェデリコⅡ世大学のL先生(建築学・都市学)。L先生はスペイン地区に居住し、ボランティア活動を主催するほか、地域と行政とを結びつける役割を果たしている)

スペイン地区は、いわゆる「犯罪多発地域」とは一線を画する。むしろ、典型的なナポリの下町に近い。人々のネットワークは強固で、高齢者の死亡通知には、本名のほかに、地域で’そう呼ばれている’通称が書かれ、子供が生まれるとナポリ伝統の’新生児告知’が建物の前に掲げられる。ただ、ショッピングバッグや高価なカメラ、時計など、不用意な持ち物を携えての「巡検」は避けた方が良いだろう。

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(新生児の誕生を告げるナポリ伝統の飾り物(左)と、地域商店街)

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(移民も増加しつつある。トルコ系移民を顧客にしたケバブ屋(左)、タミル語で書かれた掲示物(右)。スペイン地区はとりわけスリランカ系移民が多い)

 

巡検を終え、17:25ナポリ発のItalo(第三セクターの運行会社が走らせる特急。フランスのTGVと同じ車両を、フェラーリ・カラーに塗装し、イタリア国鉄が運営するFrecciarossa(赤い矢)と同じスピードで走る)でベネチアへ向かう。ベネチアまで5時間5分。

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(途中、250km/hで高速走行中の車窓から、山上都市オルヴィエートがちらりと見えた)

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(水の都には、深夜着)