La costa di Amarfi ② (アマルフィ海岸 ②)

11世紀半ばに海洋国家としての隆盛が失われた後、アマルフィの経済を支えた代表的な産業は製紙業であった。9世紀にシリアなど東地中海からもたらされた(おそらく古代中国をルーツとする)製紙技術と、北アフリカから運ばれた原料植物、都市アマルフィが広がる狭い扇状地を形成したCanneto川の清流が結びついて、13世紀には製紙業の集積が形成された。(おそらく、と断りつきだったが)この時期に、羊皮紙に代わる高質な便箋を供給できたのは、イタリアでもアマルフィマルケ州のファブリアーノ(Fabriano)に限られたと年代記には記されている。

しかし、最盛期の18~19世紀に16カ所を数えた製紙工場も、その後、Canneto川の水量低下、(鉄道が通らず、道路も不便なアマルフィゆえに)消費地との連絡の悪さ、そして1954年の大水害によって衰退し、現在では3カ所が残るのみである。かつての工場の1つは、製紙博物館(Museo della carta)になっており、水力(水車)を動力とする18世紀当時の製紙工場の中を、毎時間出発するガイドツアーで見学することができる。

Museo della Carta - Carta a mano di Amalfi

(このHPの英語版のHistoryは面白い。上記の紹介文の原典にもなっている。ただし、「中国の古い文献に示された製紙の技術」と紹介されている3枚の絵は、どう見ても江戸期の日本の草紙絵だろう・・・)

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(Museo della carta(紙の博物館)の外観。アマルフィの中心市街地を1kmほど山側に遡っていく。清流を得るために扇状地の扇頂近くを好む立地特性は、埼玉の小川町などと同様、製紙業の特徴である。それゆえ、鉄砲水など水害の被害にも遭いやすい。写真左側のアーチは水路、中央が事務所、右下が工場入口。工場が半地下となっているのは、水路の水で水車を回す必要上、落差を稼ぐためだそうである)

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(水源から、高度を維持し、工場よりも高い位置に引かれてきた水路と、これを動力に変える工場内の水車)

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(工場内は、ガイドツアーがあり、18世紀当時の紙の製法を一通り実演して見せてくれる)

 

アマルフィの市街地から、約350m登ると、絶景の保養地として知られるラヴェッロがある。往路はバス(40分)、復路は徒歩(70分)。古代ローマ時代、有力者による柑橘類のプランテーションとして拓かれ、12世紀頃から有力者の別荘が建ち始め、こうした別荘に招かれた芸術家たちのサロンが花開いた。

しかし、何といってもラヴェッロを有名にしたのは、17世紀~19世紀にかけて、イギリスの上流階級の子弟の間に流行した「グランド・ツアー(Grand Tour)」だろう。上流階級の子弟が、見聞を広める目的で世界中を廻ったグランツアーの目的地の中でも、イギリスからの距離が近く、古代ギリシャからルネッサンスに至る遺跡や遺物に事欠かないイタリアは人気の地であった。こうしたツアーには、当然「ガイドブック」が存在する。そうしたガイドブックに、チンブローネ荘(Villa Cimbrone)からの眺望を絶賛するイギリス人グリーンソープの文章が紹介され、イギリスの上流階級の若者が押しかける「観光地」へと発展していった。手段の目的化(移動から旅行へ)と観光メディア(ガイドブック)の成立、資源化する眺望、ガイドブックの記述を追体験する行動形態(あるいはガイドブックに導かれた「聖地」の誕生)など、近代ツーリズムの成立を考える上で興味深い街だと思う。ちなみに、もう1つの代表的なヴィラであるルーフォロ荘(Villa Rufolo)には、作曲家のワーグナーが滞在し、楽劇「パルジファル」第2幕の一部をここで作曲している。

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(ラヴェッロのカテドラル前広場。350mの標高と、海から絶え間なく吹く風が大変気持ちよく、PCを広げて原稿書きをしていました)

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(グリーンソープが整備したチンブローネ荘のテラスと、テラスからの眺望。この背後には、ローマ風の四阿やら、ルネサンス風の彫刻やらが点在しているが、どうも趣味が合わない。テラスから眺望を眺めた後は、駆け足で回って退散)

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(左は、ワーグナーが「霊感を得てパルジファル第2幕の「魔法の花園の音楽」を書いたと伝えられるルーフォロ荘の中庭。パルジファルの「神秘的な」音楽とは趣の異なる明るい庭だったが、芸術家の霊感とはそのようなものなのだろう。ルーフォロ荘の裏からアマルフィに下る遊歩道が出ている。70分間、階段を下りっぱなして足が笑う)

 

ソレントから入り、ポジターノ、アマルフィ、ラヴェッロと回った旅の最後は、終着のサレルノに近い陶器の街ヴィエトリ(Vietri sul Mare)。古代ローマ時代に陶器の工房が集積し、いわゆる「ソレント陶器」の源流の1つとなった。かつて、マリア先生宅で、アマルフィ地域の昔の生活を素朴なタッチで描いたエスプレッソカップのセットを拝見し、これに近いものが欲しいのでマリア先生に電話をする。マリア先生曰く、まだハンドメイドの工場も残ってはいるものの、デザインが軒並み新しく(コンテンポラリーなものに)なっているとのこと。職人が減って、代わりに芸術家が増えているのだそうだ。それでも、「ハンドメイド、アマルフィの生活誌をデザインとしたもの」という条件で、老舗のPinto社を紹介してもらい、無事買い物も終了。

Ceramica Pinto s.r.l.

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(陶器の町ヴィエトリ。しかし昔ながらの製法、デザインの店は、この15年間で極端に減った、というのがマリア先生の弁)

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(ヴィエトリ周辺の海岸線の土地利用。一番上に道路、その下に柑橘類の段々畑、その下に家屋の順で垂直に配置されている。平地がほとんど無く、厳しい土地であったことがうかがえる)

 

ヴィエトリ~サレルノ間はバスで15分。サレルノナポリ間は快速で45分。夜の8時過ぎにナポリ帰着。