8月22日に東京からナポリに帰任し、この間アパートの契約等で慌ただしくベネチア往復を行いつつ、いよいよ9月2日に最終的にナポリを離れ、次の赴任先ベネチアへ移動する。 ナポリの最終日にセッティングされたのが、「ナポリの下町」スペイン地区(Quartier…
日本での3週間は、ほとんどベネチアでの講義に使う資料収集とノート作成で潰れる。正式な時間割が送られてきて、担当講義の時間が想定より多い(大チョンボ)ことが判明し、忙しい忙しい・・。 イタリアへのお土産を買いに日本橋三越へ出かけると、本館と新…
ナポリを引き上げ、一時帰国の途に就く。航空会社は乗り慣れたルフトハンザのミュンヘン経由。 (ナポリ空港はボーディングブリッジの数が少ない。ほとんどの便が、ターミナルから徒歩またはバスで乗客を移動させ、昔懐かしいタラップで機上へ上がる。機種は…
ナポリ出発の前々日、ナポリ郊外(北東約20km)にある話題のショッピングセンターBulcano Buonoに連れて行っていただく。多分にベスビオを意識したと思われる不思議な外観だが、中はドーナツ状の建物にテナントが入るショッピングセンター(SC)。中央の空…
11世紀半ばに海洋国家としての隆盛が失われた後、アマルフィの経済を支えた代表的な産業は製紙業であった。9世紀にシリアなど東地中海からもたらされた(おそらく古代中国をルーツとする)製紙技術と、北アフリカから運ばれた原料植物、都市アマルフィが広が…
この10ヶ月間、ナポリを拠点に、ヨーロッパ9カ国、100を越える都市(西の門からから東の門まで20分というプーリアあたりの可愛らしい小都市を含め)を巡ったが、意外にナポリ近郊は足を運んでいない場所が残っている。いつでも行けるという安心感ゆえに、結…
ナポリの店終いが迫る。せっせと小包をつくり、郵便局に持ち込む毎日が続く。 結局、ベネチアに7箱、日本に4箱。日本では考えられないが、街中の小さな郵便局では、国際小包(pacco ordinalio internazionale)は扱って貰えない(少なくとも、ナポリの拙宅…
リバプール空港の入国審査は、久しぶりに「英会話の勉強」程度に長い審査だった。イタリアから、イタリアの滞在ヴィザを持つ日本人が、ロンドンではなくリバプールに降り立つという状況が珍しかったのか(怪しかったのか、興味本位なのか)、イギリスでの滞…
ニューカッスルから、南イングランドに飛び、サウザンプトン(タイタニックの出港地)、ブライトンを経てロンドンに入る。今回、ロンドンは1日のみ。日曜日にぶつかり、お役所も休みなので、書店で資料収集をした後はテムズ川添いをぶらぶら歩き。久しぶり…
ニューカッスルは、広域調整機能の喪失が中心市街地に近接するEnterprise Zone(主に工場跡地)への大型商業施設の建設を誘導した典型例であろう。ニューカッスルはタイン(Tyne)川の北岸の台地上に広がる古代ローマ起源の古い都市であり、タイン川を挟んで…
1979年に成立したサッチャー政権の「新自由主義的」な商業政策は、衰退する工業地域の構造転換を目指していたとする見解が一般的である。このためサッチャー政権は、(大型店に抑制的な)地方政府の意思決定の上位に(開発主義的な)中央政府の判断を置き、…
中心市街地の再開発を考える上で、イギリスの事例は避けて通れない。第二次世界大戦後の戦災復興、その後70年代までの保護主義的政策、サッチャー政権による80年代の劇的な規制緩和による郊外出店の波と中心市街地の地盤沈下と続き、90年代のメージャー政権…
サンタ・ガータ・ディ・ゴーティは、このブログの表紙の写真の街。ナポリも残りわずかになった昨今、比較的近いので10年ぶりに再訪することにしました。ちなみに表紙の写真は10年前の撮影です。 最短経路は、ナポリから王宮で有名なカセルタまで鉄道で小一時…
ダルマチアから戻り、ナポリ東洋大学でミーティング。今回は、(待望の)A先生も出席され、2時間近く、ナポリの都市政策、商業立地、郊外大型店の影響、都心の商業空洞化と低所得者対策について意見交換を行う。「それでもまだ、ナポリの都心の商業は元気…
スプリットが「最終目的地」の筈だったが、空路ナポリへ戻るためのスプリット空港が、スプリットではなく隣町のトロギールの近郊にあるとのこと。トロギールは、スプリットの西約25km、高速バスで40分ほどの距離になる。 トロギール旧市街は、東西400m、南北…
コルチュラから本土側のスプリットまで、再び高速船で2時間半の旅。東西に長いコルチュラ島は、東端に近いコルチュラ(こちらは都市)のほか、バスで小一時間ほど行った西端にベッラ・ルカという港がある。ここからスプリットまで1日1便フェリーが運行さ…
ドゥブロブニクから高速船でコルチュラへ向かう。本来は鈍足のフェリーに乗り、甲板からダルマチア式海岸を眺める「クルーズ」と洒落込みたいところだったが、ドゥブロブニクからコルチュラを経てスプリットへ向かうダルマチア縦断フェリーは、残念なことに2…
ドゥブロブニクから、日帰りのツアーを探してモスタルへ出かける。モスタルはドゥブロブニクからバスで2時間ほど、ネレトヴァ川の流域に発達した古い渡津集落であり、隣国のボスニア・ヘルツェゴビナ領に含まれる。 昔(歳が知れるが)「ネレトバの戦い」(…
ナポリを15時半に出た高速バスで、バーリ港までほぼ3時間。バーリ港を22時に出航したフェリーは、ドゥブロブニク郊外のグルージュ港へ朝8時に到着する。乗り継ぎ時間を含めても存外早いものだと思う。 クロアチアはシェンゲン条約国ではないため、バーリで…
ナポリ東洋大学の地理学教室を訪れる。地理学科は人文学部に属しており、初めに人文学部長を表敬訪問。例の如くノートPCを使って日本の地方都市の事例をいくつか紹介し、イタリアとの比較の視点を紹介する。一段落して、ナポリのどこが面白いかという話に…
形式上は9月末まで残されている在外研究期間だが、9月上旬から4ヶ月間ベネチアの大学に客員教授として派遣されるため、労働ヴィザ取得など一連の準備が必要になる。このため7月末にナポリを引き払い、一時帰国することが決まる。事実上これで「自由な研…
10日ぶりにナポリへ戻り、地下鉄に乗ったら、どうもいつもと様子が違う。駅が「1駅」多い! と書いてしまうと演出過剰の感があるが、6月2日の共和国記念日に合わせるように、地下鉄1号線のムニチピオ駅が完成していた。実は、5月中から、慣熟運転と思わ…
ウィーンの最終日、ドナウ川と古ドナウ川(Alte Donau)に挟まれたドナウシュタット(中の島)にあるDonauturm(ドナウタワー)へ上る。高さ252mの電波塔(これが本来の役割)であるこのタワーは、150mの高さに360度開放の展望台を備えており、午前中であれ…
中欧諸国の首都の中では、なぜかハンガリーのブダペストだけ足を踏み入れていない。ウィーンからは鉄道(インターシティの特急)で3時間の距離なので、1日遊びに行く。とはいえ、ウィーンで思いついた「出張」なので、資料も観光ガイドも無い。インターネ…
「ウィーンと居住」というテーマを考える際、忘れることができないのは、両大戦間に数多く整備された労働者向けの公営住宅群である。その「代表作」ともいうべきKarl Marx Hof(カール・マルクス・ホフ)を見に行く。 第一次大戦の終結とハプスブルク帝国の…
市電2番でGürtel strasse(ギュルテル環状道路)沿いへ出かける。ギュルテル環状道路は、ウィーン中心市街地の西側を、リング環状道路から2km程度の距離を隔てて半周する環状道路である。加賀美雅弘氏の「中欧都市ウィーン市街地の景観形成と再生」によれば…
ウィーン滞在はあくまで「休日」。明確な研究目的を持った滞在ではありません。見に行く場所も足の向くまま・・・。 昨年11月のベルリンは、「ベルリンの壁」崩壊25周年(1989年11月)で盛り上がっていたが、現今のウィーンは、有名な環状道路(Ringstrasse…
カターニアでのC先生とのディスカッションの際、頻繁に使われたキーワードの1つがrivitalizzazione(再活性化)。これも、英語ではrevitalizationなので非常に近い。 このディスカッションでお目にかかれなかった研究生(院生はめでたく修了された由)のT…
カターニアからパレルモまでシチリア横断の往復ドライブ。3月に発生した地滑りで、鉄道はなお一部区間が不通となっているが、流石に生命線の高速道路網は早々に復旧していた(厳密には、最短経路はなお不通だが、並行する一般道で難なく迂回できる。当初報…
ナポリに長く住み、その都市の有り様を「イタリアの都市の基準」と考えると、他の都市で面食らうことも少なくない。その1つが、中小商業者が集積する、いわゆる「商店街(shopping street)」の存在である。ナポリでは、ピナセッカ通りをはじめ、生鮮品、最…