Wiener Urlaub ⑤ Der Ring des Nibelungen (ウィーンの休日⑤:ニーベルンクの指輪)

ウィーンの最終日、ドナウ川と古ドナウ川(Alte Donau)に挟まれたドナウシュタット(中の島)にあるDonauturm(ドナウタワー)へ上る。高さ252mの電波塔(これが本来の役割)であるこのタワーは、150mの高さに360度開放の展望台を備えており、午前中であればウィーン中心部が逆光にならない。

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(中間にある「お皿」のような施設が地上150mの開放展望台。塔自体がウィーン中心市街地の北東に位置するため、午後は街が逆光になる。開放展望台の上の地上160mには喫茶室、170mにはレストランがある。眺望と費用はどうも連動するようだ)

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(ウィーン中心部(南西方向)の眺望。手前に2本流れる河川は、向こう側が直線化後のドナウ本流、手前が放水路となる新ドナウ川。画面中央の尖塔が聖シュテファン寺院で市の中心部である。奥に見える高層ビル群が、ウィーン中央駅南部の再開発地区にあたる第10区のFavoriten(ファフォーリテン)地区。この地域が中心市街地のほぼ南端であり、ウィーン自体が非常にコンパクトな都市であることが理解できる)

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(北西のハイリゲンシュタット方向を望む。写真の奥がドナウ川の上流方向となり、右の水域が(蛇行部分を直線化した後の)古ドナウ川。ドナウタワーが立つドナウシュタット(第22区)は北部が戸建て住宅地、南部が国連都市という対照的な土地利用となっており、その中間にタワーを含むDonaupark(ドナウ公園)がある)

さて、上の写真では定かには見えないが、ドナウを越える鉄橋の手前にある緑色のドームが、イスラミックセンター(モスク)である。サウジアラビア資金提供で1979年に建設されたが、景観条例が厳しい旧市街での建設は許可されず、ムスリムの居住地域からは大きく離れたドナウシュタットへの建設を余儀なくされた。鉄橋はギュルテルから東へ延びてドナウ川を渡るU6線であり、新ドナウ川を渡った所にNeu Donauの駅がある。ブルネンガッセなどギュルテル沿いに多く住むムスリム住民は、U6に乗り、この駅を利用して礼拝に訪れる。

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(ドナウシュタットに建設されたイスラミックセンター(モスク)。後方はドナウタワーと国連都市のビル群(左)。最寄りのU6線Neue Donau駅には、礼拝に訪れるムスリム住民の姿が目立つ)

ウィーンは、乗り継ぎで半日だけ滞在というのも含めれば7回目の訪問になるが、ブダペストを含め10日間という長期滞在は初めてとなる。10日あると、流石に都市の端から端まで、気になった場所をくまなく(に近く)歩くことができた。改めて、中欧の結節点というウィーンの特殊性をしみじみと実感する。

 

で、そもそも何でウィーンに10日も?いやそれは、ベルリンフィルのシェフ・サイモン・ラトルウィーン国立歌劇場ワーグナーの「ニーベルンクの指輪」全4夜(序夜+3夜)を振るチケットがなぜか入手できてしまったからです。こんな機会はそう滅多にあるものではなく、夏休みをいただいた次第。Ring(環状道路)に始まり、Ring(指輪)に終わるという、お粗末なお話でした。

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帰路は、フランクフルト経由、いつものルフトハンザ航空で6月8日晩にナポリ着。

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(フランクフルト空港で見たヴィンテージ塗装のボーイング767型機。この塗装で見ると、(エンジンの数が違うけど)往年のボーイング707に見えないでも無いのが不思議)