Wiener Urlaub ② Gürtel strasse (ウィーンの休日②:ギュルテル環状道路) 

市電2番でGürtel strasse(ギュルテル環状道路)沿いへ出かける。ギュルテル環状道路は、ウィーン中心市街地の西側を、リング環状道路から2km程度の距離を隔てて半周する環状道路である。加賀美雅弘氏の「中欧都市ウィーン市街地の景観形成と再生」によれば、ギュルテルもまたウィーン市壁の外側の防衛線を担う要塞線であり、市壁の撤去と環状道路化が進められた19世紀の後半以降、環状道路の整備と工場地帯の配置が進んだとされる。

ギュルテルの道幅は広く、片側3車線+市電路線に加え、道路中央に高架鉄道(Staatbahn、現在の都市鉄道U6号線)が配置されるという大環状道路である。加賀美氏によれば、ギュルテル沿いに工場地帯が配置されたことで、地方都市や帝国内(ハンガリー、イタリア)、そして周辺諸国から大量の低賃金労働者が流入し、いわゆるエスニック空間が形成された。現在もなお、ギュルテル沿いにおける外国人労働者の構成比は高い。BrunnengasseやQuellenplatzなどトルコ系労働者の集住地域として知られる空間は、ギュルテルに沿って広がっている。その理由は、居住環境はさておき、安価な賃貸アパートの大量供給にある。もっとも、景観条例が厳しいウィーンでは、こうしたアパートは、多くが既存の中層アパートの中庭に増築されており、なかなか外から見通すことはできない。

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(Brunnengasseにほど近いU6・Josefstadt.str駅。わかりにくいが、左右の建物の線がギュルテルの道幅であり、中央を現在のU6が走る。その前身は1898年に建設された都市鉄道stadtbahnであり、駅舎や高架線の大部分は1世紀以上前の施設を流用している)

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(民族色豊かなBrunnengasseの市場。左はアフリカ系住民のためのミートショップ、右はイスラム教徒用にハラルの食事を提供するレストラン)

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(アパートの中庭に増築された低家賃住宅と思われる低層の建物(左))

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(表通りから少し入った地域では、老朽化した低層住宅もちらほら残されているが、再開発を控えて住民の立ち退きが進んでおり(左、正面の緑色の家は板で窓が封鎖されている)、徐々に高さ制限を一杯に使った新しい住宅への更新が進んでいる(右))

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(Quellenplatzに近い市場。トルコ系の人々の構成比が高い)

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(今年のラマダン(イスラム教断食月)は6月8日から)

 

さて、ギュルテルの南端は、急ピッチで開発が進んでいるウィーン中央駅(Wien Hauptbahnhof)の東側にあたるLandstrasse地区で都市高速道路に切り替わり、ドナウ川を越えるが、その手前にあるのが景観保全型再開発で有名なGasometer(ガソメータ)。1896年にウィーンに初めて都市ガスが導入された際に建設された4基のガスタンクの跡地利用で、中はショッピングセンターや公営住宅が配置されている。1999年に着工し2001年に竣工しているが、「再利用」というよりは「外壁のみを残して、その内側に全く新しい建物を入れた」開発であり、大きな経費を要したと考えられる。

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(上が外観、下が内部の写真。左は商業ゾーン、右は住宅への再開発であり、これらの施設が「タンクの中に入って」いる。もっとも、景観を保全するため高さ制限は厳しく(タンクの外壁を越えることはできない)、文化財である外壁を守るために建設工事にも細心の注意を要したとされる)