La rivitalizzazione della città (都市の再活性化)

カターニアでのC先生とのディスカッションの際、頻繁に使われたキーワードの1つがrivitalizzazione(再活性化)。これも、英語ではrevitalizationなので非常に近い。

このディスカッションでお目にかかれなかった研究生(院生はめでたく修了された由)のTさんとカターニアでお目にかかる。いつもそうしているように、まず日本の地方都市におけるいくつかの事例を写真で見せ、自分の研究テーマを紹介し、イタリアとの比較検討の視点を説明する。彼女のテーマは、現代アートを用いた都市の活性化で、先に紹介したカターニアのサン・ミケ-レ通り(空洞化した中心街でのアトリエ、アート活動拠点の再集積)のアドバイザーも務めているという。

Gentrificazione (ジェントリフィケーション) - Dov'e il centro urbano?

つい先頃まで、小生の研究室に在籍していたM君と非常に近いテーマで、彼の活動を紹介すると「是非話をしてみたい」との返事が返ってきた。そのTさんが、「もし時間があれば」と紹介して下さったのが、アグリジェントに近いFavara(ファヴァーラ)で進められているFarm Cultural Park。

ファヴァーラは、アグリジェントから10kmほどの郊外都市だが、1920~30年代に、マフィアの資金稼ぎの一環として粗悪な集合住宅の乱開発が進み、今日はその多くが廃墟化している。こうした「棄てられた住宅地」のうち、中心市街地に近い一角をアーティスト集団が借り受け、アトリエやスタジオなど活動拠点とする一方で、それを集客装置として機能させるため行政とタイアップしたPR活動を行っている。

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(ファヴァーラの中心市街地に近い「棄てられた住宅地」)

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(Farm Cultural Parkの風景。来訪時には街全体が「展示替え」の大改装中で、個々の展示スペースの見学は叶わなかった)

左の写真(ゼブラ模様)の建物はParkの入口部分にあたるが、黒く見える窓には「Casse(入場料金徴収口)」と書かれていた。有料のテーマパークとするのか、フェイクなのかは分からないが(Tさんに確認してみよう)、有料化するのであれば、収支計画を含むそれなりの長期ビジョンと、有料来場者を期待できる展示内容が必要となる。それは大きなギャンブルであろうが、そもそも行政からの補助金が期待できない国柄、Parkの自主運営を続けるには「有料化」が必須なのかも知れない。このあたりは、補助金がどっぷり出る日本の試みとは大きく異なる(その代わり、補助金が切れると「瞬殺」になる事例も多い)。いずれにせよ、「アート系まちづくり」は、短期的な話題づくりに成功した事例は枚挙にいとまが無いが、息の長い活動を続けている事例はあまり多いとは言えない。今後の展開が大いに気になる。

さて、ファヴァーラ~カターニア間は、頑張れば日帰りが可能な距離だが、折角なので、中間点に近いShicli(シクリ)で1泊。ラグーサやモディカ同様、1691年の大地震以降に再建された「ノート・バロック都市群」の1つである。

Le città di barocco (バロック都市群) - Dov'e il centro urbano?

ちょうど週末と重なり、シクリの中心市街地では、年に一度の「Notte del museo(博物館の夜)」が開催されていた。市内に10施設ほどある博物館や公的機関を24時まで開放し、様々なイベントを行うもので、これも立派な中心市街地のrivitalizzazioneである。近在の人々が多いと思われるが、深夜まで多くの人通りで賑わっていた。

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(antica farmacia 古い薬局が博物館となっており、18世紀の薬瓶や19世紀の調合器具が展示されている。当夜は学芸員による解説が付いた)

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(食の博物館。地域の農産物、伝統的なレシピ、調理器具のほか、19世紀の平均的な家庭のキッチンが再現されている。博物館前のスペースでは、伝統的レシピに基づくシクリ料理が再現され、無料で来場者に振る舞われていた。奥に見えるカップに入ったスープは、パスタ入りのグルテンで、この地域の伝統食とされている。レシピは素朴で、厳しい気候や大土地所有制度の下、一般の庶民が知恵を絞りつつ、栄養を維持できる食事を工夫し続けてきたことが見て取れる)

 

さて、カターニアへの帰途、ノート都市群(ラグーサを除く)を遠望してみた。あらためてその立地形態が多様であり、そのことが都市デザインに大きな影響を与えていることを実感する。

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(ラグーサに似た山上都市のカルタジローネ。カルタジローネもノート都市群に含まれる)

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(渓谷に沿って、両岸の斜面に発達したモディカ)

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(旧市街(Basso)の上に広がる南向斜面に開発されたノート。写真でバロック都市の下に位置する旧市街は長く放置され、一時期は治安の問題も抱えていたが、現在は再開発されて「新市街」化している)

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(丘陵地から平野に出る谷口に広がるシクリ。平野の先には水平線が遠望できる)

 

今回のシチリア調査では、多くの先生方にお世話になりました。頂戴した文献は、書籍3冊、論文10数編にのぼり、格安航空会社の荷物制限をくぐるため、空港でのパッキングに一苦労する。持ち込み手荷物は1つのみで、預け荷物には40ユーロの荷物料金がかかる。結局、本3冊とパソコンを手で抱え、文句を言われたら「機内で仕事するんだ」と言い張ることにしていたが、何も言われずにゲートを通過、無事ナポリへ戻りました。

さて、よろずの整理が終わり、5月30日から、ちょっと早い夏休みをいただくことにしました。10日間の予定でウィーンに滞在中です。

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(ウィーンの緯度は北緯48度。時節柄、サマータイムと相俟って昼間が長い。夜の9時半過ぎの聖シュテファン寺院前。まだ空は暮れきっていない)