Viaggio nel Costa di Darmatia ③ Korcula (ダルマチア海岸への旅 ③ コルチュラ)

ドゥブロブニクから高速船でコルチュラへ向かう。本来は鈍足のフェリーに乗り、甲板からダルマチア式海岸を眺める「クルーズ」と洒落込みたいところだったが、ドゥブロブニクからコルチュラを経てスプリットへ向かうダルマチア縦断フェリーは、残念なことに2014年度で廃止されていた。沿岸の高速道路網が整備され、旅客は高速バスか高速船、車もフェリーから高速道路へという棲み分けが進んだためであろう。高速船は、入港時以外はデッキに上がれないのが窮屈だが、背に腹は代えられない。ドゥブロブニクからコルチュラまでの約70kmを、1カ所寄港してなお2時間弱で結ぶのだから、その速度は流石である。

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(キャビンから眺めたダルマチア式海岸。スピードが上がるにつれて波しぶきが窓をたたくようになり、風景を楽しむことが難しくなる点が高速船の弱点)

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(コルチュラへ入港した高速船。写真の背後はダルマチアの海岸線(陸地)で、雨が降っているのか虹が出ていた)

コルチュラは、海岸線と並行に浮かぶコルチュラ島の中心都市である。とはいえ人口は5,000人強に過ぎない。コルチュラは13世紀にベネチアによって開発された。避難港とも海賊対策とも言われてるが、海洋国家ベネチアにとって、地中海との中間点に寄港地を持つことは重要であったろう。旧市街は、東西200m、南北250mほどの小さな半島の上に開発された。海に囲まれた三方に城壁を廻らし、唯一の弱点である半島基部には濠を設けて防御態勢を固めている。現在、東側の城壁は撤去されて、レストランのテラスが並ぶ遊歩道となっている。

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(半島を開発したコルチュラ旧市街。狭い水道の先はオレビッチの街で、その後ろに聳える岩山はイリア山)

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(コルチュラとオレビッチの間はフェリーで15分。ドゥブロブニクからコルチュラ行きの高速バスが出ており、どうやって行くのかと思えば、バスでオレビッチまで運び、そこからフェリーに乗り換える(フェリー料金込みの高速バス運賃)という運行であった)

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(コルチュラの日没。ご多分に漏れず、美しい旧市街を持つコルチュラも近年はマリンリゾートとしての開発が進んでいる。ヨットを浮かべているのは、圧倒的にドイツ人が多いそうである)

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ベネチアによって建設された街であり、文化的にもベネチアの影響が強い。半島中央に聳えるカテドラルは、ベネチア守護聖人「聖マルコ」にちなんだ聖マルコ聖堂であり、そのファサードを飾る彫刻もまたベネチア風である。とはいえ、正面入口の両サイドを飾るアダム(右)とイブ(左)のデザインは何なのだろう・・)

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(地元の伝説では、(ベネチア人とされている)かのマルコ・ポーロは、実はコルチュラの出身であるという。その「生家」は記念館になっているが、さてベネチアはこれを認めているのだろうか)

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(半島東側の城壁は現在撤去され、その跡地はレストランのテラスが軒を連ねる遊歩道になっている。ここでもまた、ドイツ語が頻々と聞こえてくる)