Le quaranta giornate di Napoli (ナポリの40日間)

形式上は9月末まで残されている在外研究期間だが、9月上旬から4ヶ月間ベネチアの大学に客員教授として派遣されるため、労働ヴィザ取得など一連の準備が必要になる。このため7月末にナポリを引き払い、一時帰国することが決まる。事実上これで「自由な研究期間」が終了することとなり、ナポリに拠点を置く生活もあと40日足らず。「勉強どころじゃない(?)ので、行こうと思っていたところに行くぞ」とは、在外研究の先達の御言葉であるが、まさしく同じ気分になっている。とはいえ、来週はナポリ東洋大学地理学教室でのディスカッションも控えており、その準備で気ぜわしい。

さて今回のタイトル、気づかれた人もいるかも知れないが、Le quattoro giornate di Napoli(ナポリの4日間)のパクリである。「ナポリの4日間」とは、第二次世界大戦中の1943年9月27日から9月30日までの4日間にわたり、ナポリ市民がドイツ軍相手にぶちかました市民蜂起のことで、1962年には映画にもなっている(日本でも上映されたらしいが、ビデオ化、DVD化には至っていない)。

Le quattro giornate di Napoli - Wikipediaウィキペディア・イタリア語版)

Four days of Naples - Wikipedia, the free encyclopediaウィキペディア英語版

 多少水を差すような言い方になるが、1943年9月3日のイタリア本土への連合軍上陸と、9月8日のイタリア降伏(新政府は、連合軍の支配地域となったブリンディジに樹立)を受けて、イタリアの大部分を実効支配するドイツ軍の中で防衛線をめぐる意見対立が生じた。結局、海への開口部が広く防御に適さないナポリから撤退し、ナポリ・ローマ間の山岳地帯を防衛線にと提案したロンメル元帥の意見が採用され、ナポリを占領するドイツ機甲師団は戦略的撤退の準備にかかっていた。「ナポリの4日間」はこうした状況下で発生している。

市民の武装蜂起の契機は、ドイツ軍による市民の無差別逮捕(一部では「処刑」との記録もある)であり、武装蜂起の結果、4日間で数百人の市民が犠牲となった。しかし、ドイツ軍が本気でナポリを「防衛」する気であれば、市民の犠牲者数ははるかに膨れあがったであろう。「4日間」で戦闘が終結した理由も、市民の蜂起にドイツ軍が押されたというよりは、サレルノに上陸した英米連合軍との直接対決を避けるためであり、事実、ドイツ軍撤退の翌日(10月1日)には、早くもイギリス軍の先鋒部隊がナポリ入城を果たしている。

とはいえ、あえなくドイツ軍に武装解除されたイタリア正規軍に代わり、市民が武装蜂起して、占領軍であるドイツ軍を「退けた」という事実は、ナポリ近現代史における輝かしいエポックであり、戦後、蜂起の犠牲者全員にイタリア政府から金メダル(medaglie d'Oro)が授与されている。ちなみに、最初に武力衝突が起きた場所は、住宅地Vomeroに近い陸上競技場前であるが、これはドイツ軍が競技場を逮捕した市民の仮収容所に使っていたためである。

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ナポリの地下鉄1号線の路線図。Vomeroの中心駅Vanvitelliを挟んで、陸上競技場に接した駅がQuattro Giornate、反対側がMedaglie d'Oroで、それぞれ「ナポリの4日間」の歴史を駅名に留めている)

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(Quattro Giornate駅の入口。右側が現在も使われている陸上競技場のスタンドの一部。正面の白い建物が憲兵隊(Carabniere)で、壁に武力衝突の犠牲者を追悼する記念碑が設えられている)

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憲兵隊の建物にある記念碑。モニュメントは機関銃である)

 

さて、ダウンタウンでは大きな「Z字」を描いた地下鉄1号線は、上図の通り、続くVomeroで再びループを描く。これは、標高200mの丘の上にあるVanvitelliまでの高度を稼ぐためである。ちなみに、私の最寄り駅は2駅手前のSalvator Rosaで標高は140m程度であるから、ここからさらに60m上がることになる。Salvator RosaからVanvitelliまでの直線距離が約1kmなので、平均勾配は60/1000で碓氷峠(66.7/1000)並みになる。さすがに「地下鉄の直登」は難しい勾配であろう。お陰で、Salvator Rosa駅近くに住む私は、3駅先のMedaglie d'Oroの駅前を横切って2駅先のVanvitelliへ行くという、不思議な散歩をしている。