Viaggio nell' Inghilterra ② Birmingham (イギリスへの旅 ② バーミンガム)

1979年に成立したサッチャー政権の「新自由主義的」な商業政策は、衰退する工業地域の構造転換を目指していたとする見解が一般的である。このためサッチャー政権は、(大型店に抑制的な)地方政府の意思決定の上位に(開発主義的な)中央政府の判断を置き、都市間競争を抑制しがちな商業の広域調整機能を制限するとともに、Enterprise Zoneの概念を導入した。具体的には、産業衰退地域の土地利用制限を緩和し、成長(が期待できる)産業分野への用途転換を促進する政策である。これにより、工業用地・工場跡地への大型商業施設の建設が容易となった。

この政策転換の典型例となったのが、イギリス第二の都市バーミンガムである。バーミンガムは、郊外の工場用地転換のみならず、その後の大規模な都心再開発に対しても賛否それぞれの立場から数多くの研究が蓄積されている。

工業都市バーミンガムは、主力産業であった自動車産業の衰退(ジャガー、ローバー)もあり、1971年から1987年までの17年間に、47%の第二次産業雇用が消失する危機的な事態を迎えていた(伊東理,2011)。こうした中、1985年には、Enterprise Zoneに指定された市の西方約10kmのメリーヒル(Mellyhill)に、15万㎡という大規模な郊外型ショッピングセンター(Mellyhill Shopping Centre)が開発された。しかし、この開発は中心市街地の商業を著しく地盤沈下させる。当時、市の中心部には老朽化した3万㎡のショッピングセンターといくつかの専門店があるのみで、当然の帰結と言えただろう。

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(現在も高い集客力を持つMellyhill S.C.。正面からの写真では把握しづらいが、下の地図を見れば、その奥行き感が理解できる)

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Google MapによるMellyhill S.C.の周辺図)

これに対して、バーミンガム市当局は、バーミンガムの中心市街地、約800ha(ざっと半径1.6kmの円に入る範囲)を7つの地域(Quarter)に区分し、地域の特徴を活かした再開発事業を推進するとともに、マンチェスター同様、大規模商業核の都心への再配置、歩行者道路の確保、公共交通機関の整備を進めた。

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(Bull Ring and Markets地区の老朽化したS.C.を取り壊し、周辺の用地と併せて11万㎡の大規模S.C.として2003年に再会したブルリンクS.C.)

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(City Centre地区の中央駅とブルリングを結ぶ専門店街は、歩行者専用道路として整備された)

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(1970年代に一旦廃止された市電は、再び郊外と都心を結ぶ公共交通機関として評価され、再敷設工事が進められている)

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(Greater Convention Centre地区の再開発事業を代表する、コンベンションセンターICCとシンフォニーホールの複合建築物)

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(Greater Convention Centre地区の西側には、産業革命以来バーミンガムの物流を支えたバーミンガム運河が残っており、いわゆるウォーターフロントに面した高級アパートや商業施設への転換が進んでいる)

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(放棄された工場跡地を利用したDigbeth Millennium地区の教育研究機関Millennium Piont。大学の研究施設のほか、子供向けの科学教育施設などユニークな複合研究・教育施設となっている)

伊東理(2011)によれば、ブルリングS.C.の関連開発のみでも、事業経費は50億ポンドに上る。1ポンド約200円という最近の為替レートを単純に当てはめれば1兆円となり、昨今話題となっている某競技施設のざっと4倍である。これら一連の開発事業は、バーミンガム中心部の商業活動を活性化させた(市当局の試算によれば、再開発前後で中心市街地の商業地の面積は40%増加している)だけでなく、ウォーターフロントを中心に高所得層の流入が増え、税収や消費の好循環をもたらしている。

しかし、巨額の事業経費を投入し、産業と居住者層の転換を図ろうとする政策には、表裏一体となった矛盾や課題も厳然と存在する。リバプールマンチェスターで触れた都市間競争の激化はその1つである。40%という商業地面積の増加に見合う人口増が無い限り、他の都市との消費争奪は不可避である。バーミンガムの場合は、中心市街地内部での過当競争も進んでいる。東京の2007年問題規制緩和で高層建築物が増加したことで、需要を上回る面積のオフィスが供給され、オフィス間でのテナント争奪が進んだ問題)と同じ構造である。

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(歩行者専用道路New Streetに面した老舗の閉店広告。ブルリングS.C.に移転する旨が示されている)

さらに大きな問題は、低所得層の社会的排除の問題である。たとえば、運河添いやブルリングの後背地など、高級アパートやオフィスへの転換が進む地域は、もともと低所得層の構成比が高い地域であった。こうした地域を急速に開発していくことは、都市空間のGentrification(高質化)の「成功事例」とは言えようが、その結果退去を余儀なくされた低所得層の行き場をどう確保するかが、極めて大きな行政上の宿題となるのである。

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(開発が迫るブルリンク後背地の老朽アパート。すでに住民の立ち退きは終了しているらしい)

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(オフィス、住宅、飲食店への複合開発が進んだ運河添いのBrindleyplace。1990年代初頭までは倉庫や労働者用住宅が残っていた)

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(市の北西部にあたるJewelllery地区の再開発現場。やはり低所得層の都心居住を支えてきた古いアパートの取り壊しが進んでいる)

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 (同じくJewelllery地区から望見した中心(南東)方向。高層化が進む中心部、低~中層住宅地の高質化が進む周縁部、そして再開発に向けて買収と更地化が進むその外側という同心円構造が、比較的分かりやすく把握できる)