Viaggio nell' Inghilterra ① Liverpool e Manchester (イギリスへの旅 ① リバプールとマンチェスター) 

中心市街地の再開発を考える上で、イギリスの事例は避けて通れない。第二次世界大戦後の戦災復興、その後70年代までの保護主義的政策、サッチャー政権による80年代の劇的な規制緩和による郊外出店の波と中心市街地の地盤沈下と続き、90年代のメージャー政権以降は、都市計画と福祉政策を両輪とする計画的な都心の商業核づくりが今日まで継続している。80年代までは日本の商業政策を10年先取りしているとも言えるが、90年代以降の舵の切り方では大きく異なる部分も多い。いずれにせよ、秋からのベネチアの講義でも、イギリスの事例は1つの典型例として紹介する予定なので、この機会に代表的な都市を廻ることにする。今回の旅に際しては、伊東理先生の大著『イギリスの小売商業政策・開発・都市』を熟読した。事実上、伊東先生のご研究を実地で追体験する旅といっても差し支えない。

行先は、リバプールマンチェスターバーミンガムニューカッスル、そしてロンドン。ナポリリバプール間にEasyjetの路線があり、これでイギリス入り。イギリスは(相互の国境を査証チェックなしで通す)シェンゲン条約に加盟していない。島国という地理的条件がもたらす「国境管理」の妙味を有効に利用するという事であろう。したがって、ナポリからイギリス諸都市への直行便を利用する場合、それぞれの都市で出国審査、入国審査が必要となる。今回、初めてナポリの出国印がパスポートに押印された。妖怪「はんこ爺」のようになってきたが、なかなか出入国印が増えないヨーロッパにいて、この前のクロアチア以来、スタンプのインフレが続いている。

f:id:kenjihas:20150719052551j:plain

ナポリ空港での搭乗風景。実は乗客のほとんどはイギリス人であった。ロンドン便とは異なり、イタリア人がリバプールへ行く用は少ないのだろう。機内アナウンスも英語のみ)

f:id:kenjihas:20150719052819j:plain f:id:kenjihas:20150719052859j:plain

(リバプールビートルズの故郷。空港名にはJhon Lennonの名前が冠され、空港前の広場ではyellow submarineがお出迎え)

さて、リバプールマンチェスターは、世界初の営業鉄道で結ばれた都市として有名であるが、90年代以降のまちづくり政策でも、いくつかの共通項で結ばれている。1)中心市街地の集客力を回復するため大型商業施設を中心市街地に誘致する、2)大型商業施設の周囲に歩行者専用道路(昼間のみの規制も含め)を設け、回遊動線を確保する、3)自家用車依存ではなく、公共交通機関による郊外~都心間の移動手段を確保する、などがそれである。

f:id:kenjihas:20150719053937j:plain

ビートルズゆかりのCavernclub(オリジナルは閉店している。現在の店は近所に後からつくられたもの)周辺。駅から港へ抜ける歩行者動線の中に組み込まれており、写真の左端に可動式の車止めが見える)

f:id:kenjihas:20150719055223j:plain f:id:kenjihas:20150719055256j:plain

(左は、リバプール中心市街地の核と期待され、2008年に竣工した大規模ショッピングセンターLiverpool One。売場面積は15万㎡を超える。右は、Liverpool Oneから中央駅に向かう歩行者専用通路)

マンチェスター中心市街地は、リバプール以上に「都市再生」の象徴的存在とされている。マンチェスターは、80年代に急増した郊外型大型店に商圏を浸食されただけでなく、1996年にはIRAによるショッピングセンターの爆破事件を経験したためである。市電(Metrolink)による公共交通ネットワークの整備、爆破の後に改装・再開された大規模ショッピングセンター「Arndale Centre」を核とする歩行者専用道路の拡大など、大規模な公共投資が中心市街地に投入されている。

f:id:kenjihas:20150719060721j:plain

マンチェスターを南北に結ぶMetrolinkは1992年に部分開業し、現在も路線網が拡張されている)

f:id:kenjihas:20150719060854j:plain f:id:kenjihas:20150719060924j:plain

(改装されたArndale Centreも10万㎡を超える)

f:id:kenjihas:20150719061217j:plain

(Arndale Centreの周囲には、百貨店などの大型店が集積し、これらを結ぶ歩行者専用道路が賑わいを見せる)

リバプールマンチェスターの事例が示唆する通り、90年代以降のイギリスの「都市再生」の主流は、大規模商業核の都心誘致と、公共交通依存型まちづくり、そしてこれと表裏一体になった歩行者動線の確保である。ただし、こうした政策は相当な財政出動をともなう。クリスタラーの中心地論を引き合いに出すまでもなく、こうした政策が実施可能な都市は相応の階次の都市に限定される(イギリスではcore cityと呼ばれる)。また、行政(実際は第三セクター)による支援があるとは言え、高コストな都心の再開発物件に出店するための家賃は安いとは言えない。当然、それを支払ってなお利益が見込める業種やチェーン店に出店対象が偏ることは否めない。そして何よりも、「郊外に対抗できる都心を再構築する」という政策は、店舗の過剰集積を招き、都市間競争を過熱させかねない。リバプールマンチェスターは、最速の特急なら30分そこそこの時間距離である。この2都市が、それぞれ10万㎡を超える商業核を都心に整備し、集客を競うという構図は、周辺の中小都市への影響を含め、やや競争過剰の感が否めない。そうでなくても、両者の核店舗に並ぶテナントは、地代負担力による選別やテナントミックス戦略の結果、全国チェーンを中心とする似たり寄ったりの顔ぶれなのである。