Il pacco ordinario internazionale via superficie (優先陸送便国際小包)

ナポリの店終いが迫る。せっせと小包をつくり、郵便局に持ち込む毎日が続く。

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結局、ベネチアに7箱、日本に4箱。日本では考えられないが、街中の小さな郵便局では、国際小包(pacco ordinalio internazionale)は扱って貰えない(少なくとも、ナポリの拙宅の近くでは断られた)。このため、5kg×2箱、10kg×1箱、15kg×1箱を抱え、中心市街地の中央郵便局まで3度に分けてえっちらおっちら運ぶ。

日本同様、イタリアの郵便局が扱う国際小包にはいくつかの価格体系があるが、どうせ急がない本、書類、衣類なので、一番安いvia superficie扱いで送る。Supersupficieの直訳は「表面あるいは面積」であるが、もちろん輸送費用は重量で決まる。このsuperficieは大変な優れもので、観光ガイドや各種ホームページでは「優先陸送便」(あるいは船便)と説明されることが多いが、実のところは、両国内を陸送便(船便)扱いし、両国間を航空貨物で運ぶ便(日本郵便のSAL便)であろう。最初に送った2箱など、わずか10日後には東京に届いている。ちなみにSALは、Surface Air Liftedの頭文字であるからsuperficieとも通じる。もっとも、クリスマスなど繁忙期の所要期間はこの限りではない。個人的経験では、クリスマス前後のSAL便は1ヶ月近くかかってイタリアへ到着している。

イタリアから日本へのsuperficieのお値段は、5kgまで38ユーロ、10kgまで55ユーロ、15kgまで78ユーロで、日本からイタリアへ出すSAL便よりも安い。箱は、近所のスーパーマーケットの廃材置場で交渉し、分けていただく。ただ、スーパーの商品は基本的に軽量なので段ボールが薄く、引っ越しに使いやすい「体積のある箱」は強度が弱くなるのが難点。頑丈な箱は、街のゴミ箱で拾うのが一番確実である。

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ナポリのゴミ箱周辺。ナポリのゴミ問題は、一時期の危機的な状況は脱しているものの、相変わらず夜になるとゴミ箱は溢れかえり、夏には異臭も漂う。事業ゴミと家庭ゴミもごっちゃだが、夕食の帰りなどブティック等の閉店時間にぶつかると、洋服を送るのにちょうど良い強度と大きさの箱が手に入る)

いわゆるナポリのゴミ問題は「処理側」と「投棄側」のおのおのに問題があると言われる。処理側の問題は、ゴミ処理事業を仕切っていたマフィアが、行政の締め付け(マフィアが「野焼き」を行って環境を著しく損ねるため、公的なゴミ処理場を建設しようとした)に対して、マフィアの息がかかる事業者が処理をボイコットした問題を指す。世論の後押しもあって、現在ではほぼ公的な処理場への転換が進んでいるらしいが、処理場の処理能力が投棄量に追いついていない。と書くと、ゴミが溢れる一方ではないかと誤解されるが、長いスパン(1ヶ月とか)ではかろうじて処理できるものの、短期的なピーク(月曜日とか、祝祭日の翌日とか)の投棄量に対応出来ない、というのが正しい所だろう。

問題は投棄側で、「分別」がなかなか進まない、街には新しい分別ゴミ箱も増え、行政も分別を呼びかけているが、(イタリア全体がそうなのか、ナポリだけなのかはさておき)分別は非常にいい加減で、上記の通り家庭ゴミと事業ゴミの分化も進んでいない。

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(街中に設置が進む分別ゴミ箱。左から紙リサイクル(白)、缶・ペットボトル等(黄)、ビン(緑)。それぞれの箱には、捨てて良いカテゴリ-、いけないカテゴリーが詳細に記されている)

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(だが、生ごみ用のゴミ箱の中身はこんな感じ)

 

さて、10ヶ月お世話になったサン・カルロ劇場ともお別れ。最後の演目は、サマー・フェスティバルと銘打って上演されたプッチーニの「ラ・ボエーム」。昨年10月の「愛の妙薬」に始まって、「サロメ(11月)」「イル・トロヴァトーレ(12月)」「アンドレア・シェニエ(今年1月)」「トリスタンとイゾルデ(2月)」「トゥーランドット(3月)」「ルイーザ・ミラー(4月)」「チェネレントラ(6月)」「トスカ(7月)」と、ヒアリングでシチリアへ出かけていた5月を除き、ほぼ皆勤賞。いつも天井桟敷(50ユーロ)で聴いていたが、サマー・フェスティバルは天井桟敷が28ユーロに値下げされた上、公演当日は平土間(1階)の入りが悪いとかで、天井桟敷が閉鎖され1階席の後半分に「誘導」された。

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(「ラ・ボエーム」のカーテンコール。演奏が始まってもおしゃべりが止まないは、演奏中でもスマホで写真撮るは、ウィーンやミュンヘンやミラノでは考えられない「温さ」だが、保守的な土地柄を反映してか、演出が終始「正当派アプローチ」だったので見易かった。とりたてて保守的な訳ではないが、観客に謎解きを仕掛けるような奇天烈な演出はどうも苦手である)

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(オーケストラ全員がカーテンコールに呼ばれた2月の「トリスタンとイゾルデ」。4時間近い不慣れなドイツ物をよく頑張りました、という指揮者ズビン・メータの粋なはからいか。右は12月のトロヴァトーレの時。撮影してくれた語学学校の同級生は、現在ローマのイエズス会教会本部にいる)