La costa di Amarfi ① (アマルフィ海岸 ①)

 この10ヶ月間、ナポリを拠点に、ヨーロッパ9カ国、100を越える都市(西の門からから東の門まで20分というプーリアあたりの可愛らしい小都市を含め)を巡ったが、意外にナポリ近郊は足を運んでいない場所が残っている。いつでも行けるという安心感ゆえに、結局機会を逸したという事だろう。

それでも2日間時間が取れるので、あれこれ考えた末、ソレント半島の南岸、いわゆるアマルフィ海岸の小都市をいくつか回ることにした。振り出しはソレント半島北岸の港町ソレントから。ナポリ民謡でおなじみのこの町は、ナポリ湾を挟んでナポリと正対しており、天気が良ければ(ナポリとは)裏返しのベスビオ山を眺めることができる。

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(ソレント港。正面のSNAV社の大型船の手前に見える小さな船が、ナポリ港との間を約30分で結んでおり、これを利用。鉄道は本数が多く、船より安く、何よりもアマルフィ海岸(半島南岸)に行くバスが駅前から出るのが魅力だが、ポンペイ、エルコラーノを沿線に持つため、観光シーズンに入ると半端なく混むのが疵。しかし、ソレント港から鉄道駅前のバス停まで7~80mの標高差を上がらなければならない)

 

ソレント半島は、古い火山性土壌からなる半島であり、発達した海食崖を開く谷の出口(小さな扇状地)の上に港町が一定間隔で並ぶ様は、どこか西伊豆に似ている。ソレントから山を越えて南海岸に出た先がポジターノ。ローマ時代の開拓地に始まり、海洋国家アマルフィの衰退後は長らく半農半漁の小さな村であったが、近年は国際的なリゾート地、別荘地として(ひょっとするとアマルフィ以上の?)人気を誇っている。1953年に(まだ知る人ぞ知る)ポジターノを訪れた作家のスタインベックは、「天国的に美しい。次の時代にかならず名声を獲得する」と書いたそうだが、慧眼だったと言うべきだろう。狭い谷を農耕地として利用するため、家屋が断崖に張り付く集落構成は、家屋のカラフルな色彩とともに独特な景観を形成している。

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(テラコッタの屋根を持つピンクやバラ色の家屋が崖にへばりつく、ポジターノ特有の景観)

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(ポジターノの独特な集落立地は、谷を階段状の農地として利用する、この地域の半農半漁村に共通する。ただし、観光化が進み産業構造が転換したポジターノでは、テニスコートなど他用途への利用や、休耕状態の畑も散見される)

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(現在のポジターノは、ブランドショップが並ぶリゾートであり、有名な観光ガイド「Lonely Planet」には、Positano is the coast's most photogenic and expensive townと、やや皮肉っぽく紹介されている。ちなみに右のビーチは、昼食をとったホテルのプライベートビーチで、チェアの利用料は1日8ユーロとのこと)

 

ポジターノからアマルフィ間は再び船便。繁忙期で沿岸の高速船ネットワークは大賑わいであるが、「アマルフィは海から近づくに限る」という陣内秀信先生(イタリア建築史)の言葉に従うことにする。

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(ソレント半島南岸は、付け根のサレルノからアマルフィを経てポジターノまで(一部の船はカプリ、ナポリまで)沿岸の高速船ネットワークが発達している。平日だが、観光シーズンなので船客はかくの如し)

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(船から望見するポジターノ。この絶景は陸路からでは拝めない)

ポジターノからアマルフィまでは、高速船で小一時間。かつて、ヴェネチア、ジェノヴァ、ピサと並ぶ、中世の四大海運国家という歴史がにわかには信じられないくらい、海に開けた街の正面は小さく、狭い。

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アマルフィ港から眺めたアマルフィの開口部。正面の塔がカテドラル(聖アンドレア聖堂))

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(カテドラルに含まれる「天国の回廊」は1266年に建設された。海運国家アマルフィ公国の最盛期からは100年以上下るが、イスラム色の濃いデザインで統一されており、環地中海圏交易の要衝であったアマルフィを象徴する空間といえるだろう)

アマルフィは、狭い谷間に2万人の人口を抱え、垂直方向に発達した都市である。また、商業(公的)空間としてのメインストリートと、住居(私的)空間とを分けるため、商店が軒を連ねるメインストリートと平行に、あるいは直角に数多くの路地が走り、住居の入口をこの路地に設けることで、静穏とプライバシーを確保している。先の陣内先生によれば、こうした都市計画そのものが、アラブ・イスラム圏の都市計画と酷似しているとのこと(陣内秀信『都市を読む*イタリア』法政大学出版局)。

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(土産物店と飲食店が軒を連ねるアマルフィのメインストリート。上の絵は、町の守護聖人・聖アンドレアが1544年6月27日に起こしたとされる「奇跡」を描いたもの。いわく、アマルフィを侵略するため、アマルフィ沖に押し寄せたバルバロッサの艦隊が、聖アンドレアが起こした「神風」で一隻残らず海没したそうな。伊太利亜版蒙古襲来である)

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(メインストリートと直角に(左)、あるいは平行に走る、「私的な」空間に繋がる路地)

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(路地は、人口増加に対応して垂直的に発展してきた都市の歴史を物語るように、複雑な分岐を繰り返しながら、上へ上へと上昇する。一昔前は、観光客が入りづらい場所だったかも知れないが、最近はプチホテルやB&Bがこうした住宅空間に入り込んでおり、善し悪しはともかく、マラケシュやフェズのスークに比べて、比較的気兼ねなく歩くことができる)

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(運が良いと、見晴らしの良い高台に上がることができます)

この日はアマルフィで一泊。在外研究の先達である同僚のK先生の故事に倣い、海岸沿いのホテルのシーサイド・ビューに泊まる。

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(部屋からの眺め。正面の防波堤がアマルフィ港だが、アマルフィは開口部が狭いので、絶景という訳にはいかないのが残念)