Via Pignasecca (ピナセッカ通り)

ナポリに戻ると、お約束の様にピザを食べに出かける習慣がついた。で、今回も老舗ピッツェリアのDa Attilioへ(これも習慣化しつつある)。

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(今回は、Quattro Stagioni:四季。7ユーロ。ちなみに、店名を冠したPizza Attilioは、9種類の具材が載る。1ヶ月限定で日本人の店員さん修業に来ていて、ほっこりお話をしました)

Da Attilioは、1938年開業、現在のご主人は3代目で、典型的なナポリの下町のピッツェリア。味も非常に評価が高い店ですが、Tripadvisorなどの紹介では、日本の旅行者の方から「治安がちょっと」という書き込みも散見されます。

http://www.lucianopignataro.it/a/pizzeria-trattoria-da-attilio-a-napoli-dal-1938/16489/

(イタリアのレストラン紹介記事)

http://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g187785-d1091175-Reviews-Da_Attilio-Naples_Province_of_Naples_Campania.html

(Tripadvisor)

 

Da Attilioがあるピナセッカ通りは、ナポリ市民なら知らない人はいない「台所型」商店街。特に午前中から昼にかけては、生鮮品が山と積まれます。東京で言えば、戸越銀座か砂町銀座か。夜歩きはお勧めしませんが、少なくとも昼間は危ないことはありません。

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(左がDa Attilio。右は、近くにあるパン屋さん(Panificio)のCoppola。こちらも1927年からの老舗で、ヨモギパンの様な独特な香りがするパンは、地元民の熱烈な支持を集めている。包んで貰ったパンの袋を持って、入口のキャッシャーに自己申告でお金を払う(私、1ユーロ50です!、という感じ)おおらかなシステム)

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(そろそろ季節が終わりに近づきつつあるクレメンタイン(小さなオレンジ)。いつも1kg1ユーロ!パリだと3倍します。右も名物の魚の露店。)

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(商店街の「食堂」。立ち食いサイズのピザやサンドイッチが2~3ユーロくらい)

 「ピナセッカは治安が悪い」という印象は、治安の問題が指摘される「スペイン地区(quartieri Spagnoli)」を後背地に抱えていることと無縁ではない。17世紀のスペイン支配時代に、駐留軍の兵営として開発されたこの地区は、碁盤目状の整った区画ながら、狭い道幅に中層の住宅がひしめき、とりわけ低層階は日照が期待できないため家賃が安く低所得者層が集住しやすい。下の写真では見にくいが、背後の丘の上は高級住宅地のVomero。この両者は、丘の中腹を等高線に沿って走るCorso Vittorio Emanuele(Vittorio Emanuele大通り)で明瞭に区分される。所得による棲み分け(segregation)はヨーロッパの都市の特徴であるが、道一本で街の雰囲気ががらりと変わる有様にはいつも驚く。とりわけ貧富の差が激しいナポリは、この変化が明瞭に見て取れる。その一方で、スペイン地区を後背地に持つことが、ピナセッカの「庶民的な」価格や品揃えを支えていることも確かであろう。とにかく、食品だけでなく、日用品も非常に安い!ただ、スーパーマーケットより安い日用品の価格を、規模の経済性で劣る個人商店がどのような仕入れで維持しているのかは、地元の研究者に聴いても今ひとつ明瞭な答えは返って来ない。流通論としてはここが面白いのだが。

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(ピナセッカ通りからスペイン地区を見上げる。写真では飛んでしまっているが、背後の丘の上がVomero。

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(ピナセッカの北の終点は、モンテサント駅。ポツオーリへ向かうクマーナ鉄道、地下鉄2号線のほか、Vomeroへ上る3本のケーブルカー(funicolare)の1つ、モンテサント線の始発駅。ここから約150m上って、Vomeroの象徴サンエルモ城の北(写真では右側)を迂回し、Vomeroに至る)

 

ナポリに戻って4日間。原稿に追われて、結局このDa Attilio以外は引きこもり状態。2月7日に何とか脱稿。やれやれ。