Le porte a Roma (ローマの城門)

今回のローマ巡検では、ローマの数ある城門のうち、3つの城門を訪れました。

ヨーロッパの歴史ある大都市で、その構築物としての偉容とは裏腹に、本質的な機能をほとんど喪失したものこそ「城門」ではないでしょうか。あたかもオブジェのように公園の真ん中に孤立するリューベック(ドイツ)の有名なホルステン門などは、その象徴的な例といえるでしょう。

ローマの城門もまた然り。ローマが二重の城壁を持つ城塞都市であったことはよく知られています。ただし、古い内側の城壁(紀元前6世紀半ばに6代目のセルウィス王が築いた城壁)は、テルミニ駅前などにささやかな痕跡を留めるのみです。現存する城壁の多くは、270年前後にアウレリアヌス帝が築いた外側の城壁。この外側の城壁も、近代都市ローマの膨張とともに、Borderとしての役割をとっくに終えています。

その象徴的な出来事は、1873年のローマ・テルミニ駅の完成で、この首都の終着駅を設けるために、東の城壁がマッジョーレ門(東の城門)のすぐ北で破却され、線路が城壁の内側にあるテルミニ駅に引き込まれました。今回、ナポリ~ローマを鉄道を往復した時も、良く注意していない限り、「城壁の内側に入る(から出る)」という意識を持つことはありませんでした。

f:id:kenjihas:20141028072223j:plain

(東の城門「マッジョーレ門」。門の上部構造物は水道の導水管)

f:id:kenjihas:20141028072203j:plain

マッジョーレ門に続くローマ水道橋。右後方がテルミニ駅)

かつて、ローマを訪れた膨大な数の巡礼者が必ず通過し(市外からの入城を許可する窓口がここだけであった)、ゲーテがその「イタリア紀行」で「永遠の都の入口」と感激した北のポポロ門も、現在はポポロ広場に面した1つの建築物に過ぎません。テルミニからバチカンへ向かう現代の巡礼者の多くは、ポポロ門を意識することなく、地下鉄でその下を通過していきます。

f:id:kenjihas:20141028072917j:plain

(現在のポポロ門。バロックの巨匠ベルニーニが装飾を担当)

f:id:kenjihas:20141028073022j:plain

(ピンチョの丘から望見するポポロ広場。ポポロ門は右側の木の陰)

南のサン・パオロ門は、接続するアウレリアヌスの城壁が良く保存されていることもあって、「城門」としての存在感を程よく保っています。しかし、多くの市民やツーリストは、ポポロ門と同様に門の直下を通る地下鉄で往来し、日常的に城門の存在を意識することはありません。

f:id:kenjihas:20141028073455j:plain

(サン・パオロ門)

f:id:kenjihas:20141028073540j:plain

(サン・パオロ門につながるアウレリアヌスの城壁)

なお、セルウィス王の古城壁の残照は、ローマ・テルミニ駅前で見ることができます。ローマ訪問の折はご覧下さい。

f:id:kenjihas:20141028074020j:plain

(セルウィス王の古城壁。後方はテルミニ駅)

今回の小旅行では、河島英昭氏の名著「ローマ散策」(岩波新書)から多くのことを学びました。