Günter Grass (ギュンター グラス)

今日(2015年4月13日)、イタリアの24時間ニュース番組 ’Rai NEWS 24’ の7時のニュースは、ローマ教皇による「アルメニア虐殺」発言の余波(トルコの反発)がトップニュース。次いで、パレルモ沖での難民船(不法入国というトーン)問題、地滑りがパレルモカターニア間の高速道路に与えた深刻な影響というシチリア絡みのニュースが2本続き、4本目にドイツのノーベル賞作家Günter Grassの死を伝えた。

ニュースでは、オスカル君の奇声とともに学校の先生の眼鏡が割れる「ブリキの太鼓」の1シーンをバックに「その死」が報道され、次いで何人かのイタリアの文筆家、文芸評論家が、Grassをはじめとする文芸活動 ’Gruppo47’ の評価を詳細に語っていた。

自分は、Grassの作品をきちんと読んだことがなく、シュレンドルフの映画(ブリキの太鼓)の原作者という知識しかない。大学時代(1981年?)、この映画のロードショーを見に講義をサボって岩波ホールへ出かけたことは良く覚えている。

Grassがノーベル文学賞に決まった1999年夏には、偶然にも学会の巡検で、Grassの生誕の地(ブリキの太鼓をはじめとする主要作品の舞台でもある)グダニスクを訪れている。案内して下さったポーランドの先生が、「Grassの受賞は、ポーランド自由主義諸国の視線が向く良い機会であり、ポーランドの安全保障上も喜ばしい」と話していたことも記憶に新しい(ソ連邦崩壊から10年近く経っても、彼らが「西側の無関心が怖い」と語ったことは鮮烈だった。同じ文脈で、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロⅡ世がポーランド出身であることもポーランドには僥倖であるとのコメントもあった)。

その折、ポーランドチームの若手のスタッフとして、一足先にグダニスクを離れる私を駅まで送って下さったK先生。昨年、クラクフで開かれた国際大会の運営委員会名簿で偶然名前を見つけたと思ったら、現在はポーランド地理学会副会長の要職に就かれていた。

さて、来月はレンタカーでパレルモカターニア間を走りつつ、郊外型大型店(Distribuzione Grande)をいくつか見学するつもりが、高速の通行止めでにわかに暗雲たれこめる。これは下道を、コルレオーネーエンナ-カルタジローネ-シラクーサと回れという神のお告げかしらん。

 

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(ベスビオと猫という、ナポリならではの取り合わせだが、ベスビオに露出を合わせると猫が黒猫になり、猫に露出を合わせると山が消える・・)