2015-01-01から1年間の記事一覧

Gentrificazione (ジェントリフィケーション)

6日間、シチリアのカターニアを中心に、いくつかの都市をまわり、再開発をめぐるヒアリングを行う。基本イタリア語のみのカターニア大学・C先生へのヒアリングは、前回「通訳」してくれた大学院生のTさん(イギリスへ2年留学)が飛行機の欠航で調査先から…

La passeggiata nel Napoli (ナポリの散歩)

だらだらとイタリア中部の旅を書き連ねていましたが、4月末にはナポリに戻り、5月11日に予定されていたナポリ東洋大学での講演の準備で5月の頭を過ごしました。講演の内容は、日本語コースの学生さんが主体ということもあり、東京の都市景観と都市開発手法に…

Itaria Centro ⑥ Orvieto e Tivori (イタリア中部 ⑥ オルヴィエートとティボリ)

関東山地の北辺にそそり立つ両神山を「コンクリートブロックを突き立てたような」と表現したのは深田久弥氏の「日本百名山」だったが(手許に本が無いので字句は不正確かもしれない)、オルヴィエートもまた垂直に切り立った凝灰岩の岩塊の上に発達した都市…

Itaria Centro ⑤ Pisa e Lucca (イタリア中部 ⑤ ピサとルッカ)

シエナからピサへ、エンポリ経由で2時間半ほどの鉄道の旅。エンポリの乗り換えで声を掛けられ、誰かと思えば一昨日お世話になったカメリエーレ氏と日本人の奥様。奥様は博多出身で、語学留学でシエナ滞在中にご主人と知り合った由。彼らの目的はシエナから…

Itaria Centro ④ San Gimignano (イタリア中部 ④ サン ジミニャーノ)

シエナから日帰りで「塔の町」サン・ジミニャーノを往復する。フィレンツェ~シエナ間のプルマンから遠望できる通り、中世のトスカーナで覇を競った2つの都市の中間に位置する。シエナからサン・ジミニャーノまでは市バス130番で小一時間。郊外バスの延長と…

Itaria Centro ③ Siena (イタリア中部 ③ シエナ)

シエナは、フィレンツェからプルマンで75分。イタリアを代表するゴシック都市であり、中世には教皇派(グエルフィ)フィレンツェの好敵手であった皇帝派(ギベリン)の牙城であり、今日ではイタリア語の能力検定試験CILSで知られるシエナ外国人大学があ…

Itaria Centro ② Assisi (イタリア中部 ② アッシジ)

アッシジへはペルージャからプルマンで日帰り。ペルージャ~アッシジ間は、鉄道で20分、バスは55分。料金も鉄道の2ユーロに対してプルマンは4ユーロかかる。しかし、いずれも山上都市であるため、山裾にある鉄道駅までは市バスを利用するか、3km近い道程を上…

Itaria Centro ① Perugia (イタリア中部 ① ペルージャ)

南イタリアの各都市で活躍されている何人かの地理学者にコンタクトをとり、5月初旬から順次ヒアリングの予定。それまでの間、まだ足を運んでいなかったイタリア中部のウンブリア、トスカーナ、ラッツィオの各州にある、いくつか特徴的な都市を見て回ること…

Caserta (カセルタ)

ナポリへ戻ってから2週間強、ほぼ毎日イタリア語の専門書を読み続ける。400頁近い商業地理学の本で、もちろん(!)飛ばし読みだが、各章の抄訳を作り、著者陣である数人の先生と議論するポイントをレター(これは英語)に整理して、マリア先生に託した。根…

Günter Grass (ギュンター グラス)

今日(2015年4月13日)、イタリアの24時間ニュース番組 ’Rai NEWS 24’ の7時のニュースは、ローマ教皇による「アルメニア虐殺」発言の余波(トルコの反発)がトップニュース。次いで、パレルモ沖での難民船(不法入国というトーン)問題、地滑りがパレルモ-…

La pàsqua (復活祭)

4月5日は復活祭。キリストが磔刑後3日を経て復活したことを祝う日です。キリスト教(とりわけカトリック)では、クリスマスとともに重要な祝日に数えられていますが、12月25日に固定されている「生誕」とは異なり、「復活」は移動祭日。春分の日から数えて最…

La associazione volontaria (ボランティア団体)

復活祭(Pàsqua)を控えた金曜日の午後のスパッカ・ナポリです。人でごったがえす観光名所の東の端に、ナポリの古い写真をべたべた貼り付けた不思議なスペースがあります。これは、経済的に恵まれない子どもに、保育の機会、教育の機会を拡げるために活動し…

La vita quotidiana (日常生活)

3月31日に日本を離れ、「同日中」にナポリへ着くはずが、地中海沿岸を吹き荒れた春の嵐の影響で機材が遅れ、ナポリ到着は4月1日の午前1時。年度を跨いだ出張申請が難しいため、駆け足リターンをしたにもかかわらず1時間のオーバー!。まあ、事実はさておき…

Messa del Papa (教皇のミサ)

3月21日は、ローマ教皇フランシスコがナポリを訪問。プレビシート広場でミサを行いました。チュニス乱射事件後、初となるバチカン外でのミサであり、参加する群衆と、交通規制にテロ対策で中心市街地はとんでもない騒ぎ。滅多に無い(おそらく滞在中二度とな…

Catania (カターニア)

今回のシチリアの旅の目的の1つが、カターニア大学のC先生との意見交換。イタリアを代表する商業地理学者です。 カターニアは、都市人口30万人、都市圏人口75万人で、パレルモに次ぐシチリア第二の都市です。長らくシチリアの「首都」機能が置かれていたパ…

Le città di barocco (バロック都市群)

カターニアの南にあるシラクーサを起点に、北西部のノート渓谷に点在するバロック都市群を訪ねました。今回は、Ragusa(ラグーサ)、Modica(モディカ)、Noto(ノート)の3都市。 この地域は、17世紀の2度の大地震(特に1693年の地震)でいずれも壊滅的な…

Il pullman (長距離バス)

イタリアの都市間輸送は、日本以上に長距離バスPullmanが鉄道を圧倒。とりわけシチリアは、本土(イタリア半島)の幹線と違って高速鉄道がなく、路線も湾曲の多い海岸路線や速度の出ない山岳路線が主体のため、高速道路を走るPullmanに客が流れ、イタリア国…

Trapani e Erice (トラパニとエリチェ)

先方の先生の都合で、パレルモでの打ち合わせから次のカターニアでの打ち合わせまで数日間ブランクが空くので、パレルモからカターニアに直接南下せず、西回りで海岸線を回ることにしました。 トラパニはシチリアの西の果て。すぐ東にはアフロディア神殿の所…

La ristrutturazione (再開発)

パレルモにおける都心の再開発(ジェントリフィケーション)の現場を視察しました。パレルモ旧市街の基本的な街並みは、17~18世紀のスペイン支配時代に形づくられました。老朽化した建築環境、細く日当たりの悪い路地、(部分的には)第二次大戦のシシリー…

mercato tradizionale (伝統的市場)

打ち合わせの間をぬってパレルモの旧市街へ。パレルモには3つの市場のほか、いくつかの同業者街が残っています。分銅秤で重さを量る魚屋さん、店頭の砥石で包丁を研ぎ上げる刃物やさん。二昔前までは日本でも見られた光景ですが、どこへ行ってしまったこと…

Attraversaménto (横断) 

ローマ始発7:26のパレルモ行きInterCityに、ナポリから乗りました(ナポリ発9:50)。この列車は、途中のSan GiovanniーMessina間でMessina海峡を越えます。旅客の乗った車両をそのまま連絡船で運ぶ航送方式。世界でも希な光景となりました。 (イタリア本土…

Bel tempo (晴天)

ナポリは3日続けて晴天。南イタリアの雨季もそろそろお終い。日本の梅雨明けに似て、まとまった雨と晴天日とを繰り返しつつ、春が近づいてきます。気圧の谷が近く強風が吹き荒れた昨日までと異なり、今日は風も無く、絶好の洗濯日和。ナポリの下町は洗濯物…

L'Orientale (ナポリ東洋大学)

ナポリ東洋大学日本語講座の主催による、同僚のH先生の講演会に出かける。ナポリ東洋大学は、1732年にマテオ・リッパが創設したヨーロッパ最古の東洋学の研究機関。日本語講座は「アジア・アフリカ・地中海学科」に含まれている。 (日本語講座が入る建物はP…

Monaco ④ (ミュンヘン ④)

今回のミュンヘン滞在は3泊4日。楽都ミュンヘンに3晩滞在して大人しくしている訳があるまい、との声が聞こえてきそうですが、はいその通りです。3晩、都市文化研究にいそしんでまいりました。 初日(26日)は、ガスタイクでのミュンヘンフィルハーモニーの…

Monaco ③ (ミュンヘン ③)

パリと同様、ミュンヘンも建築物の高さ制限に厳しい。アルプスを望む古都の景観に対する意識は厳しく、1996年には「歴史的な景観を保全すべき旧市街地内部の景観や旧市街地から見える重要な眺望景観の保全」が市の基本方針とされました(カギ括弧内は、大澤…

Monaco ② (ミュンヘン ②)

今回、ミュンヘンで見学した再開発地域の1つが、ミュンヘン東駅に近いHaidhausen(ハイドハウセン)地区。戦災での焼失を免れたがゆえに、戦後の経済成長期に相対的な市街地の老朽化が顕著となり、行政主導でジェントリフィケーションが進められた地域です…

Monaco ① (ミュンヘン ①)

今年3回目のアルプス越えで、今回の目的地はドイツのミュンヘン。日本往復の中継港として重宝しているミュンヘンですが、昨秋以来降り立つのは初めてで、2012年春以来の訪問になります。今回はミュンヘン工科大の先生(都市地理学)との打ち合わせと、彼に…

Venezia (ベネチア:北東への旅④)

ベネチアは17日までカーニバル。16日の昼に到着し、17日の午後まで、ほぼ24時間の滞在でした。仮装した人、それを楽しむ人は街中に溢れていますが、やはり人が集まる場所は「サンマルコ広場」。サンマルコ広場の人波、サンマルコへ向かう人の列を目の当たり…

Padova (パドヴァ:北東への旅③)

ラヴェンナからフェッラーラを経由してパドヴァまではローカル線の旅。イタリア国鉄にお世話になりました、と言いたいところだが、1905年に設立されたイタリア国鉄は、2001年には持株会社化され、路線管理と列車運行の上下分離が実施された。路線管理(下部…

Ravenna (ラヴェンナ:北東への旅②)

初期キリスト教建築群が世界遺産に指定されているラヴェンナ。5世紀から6世紀にかけて、ビザンチン文化の影響下で花開いた数々のモザイク群を見ることができます。 ラヴェンナは、アウグストゥス帝によるアドリア海艦隊(クラッセ艦隊)の軍港建設によって…